絶対に“知覧”に行ってみて欲しい。絶対何か感じるものがあると思うから。
タイトル通り、鹿児島県の知覧に行って来ました。
知覧って知っていますか。第二次世界大戦の際に、特攻攻撃を仕掛ける飛行機が飛び立った場所です。
僕は今日ここに行って来たのですが、本当にいろんなことを考えらせられたので、それを残します。
知覧は鹿児島県の鹿児島市の付近(とは行っても結構車に乗った)の山の中にある場所です。
ここには記念博物館があって、沢山のものがそこには展示されています。
どんなものかというとですね。
特攻隊の人が飛び立つ前に、“家族に残した遺書”や、“実際に使用された飛行機”、当時の生活の跡がわかる“衣服”など様々なものです。
実際に行って欲しいので、その中にどんなものがあるかはこれくらいにして、
そこに行って僕がどんなことを感じたかを書きますね。
僕、“生きること”について考えました。
生きるってなんなのかって考えたことあると思うんです。1回くらいは。
でも、生きることをここまで鮮明に感じることは初めて、というくらいに突きつけられるものがここにはありました。
日本は自殺が世界で1番多い国だと言います。
自ら死を選択してしまう人が世界で1番多いということです。こんなに豊かな国なのに。
いろんな問題が複雑に絡み合っていると言います。いじめとか貧困とか。
なんで自分で命を絶つことができるのかな。僕にはわからない。でも、この事実をまず知って欲しい。そんな風に思ったので書いてます。あえて。
でもね、そういう人について何か言いたいのではなくて、
みんなに「生きる」ということと「死ぬ」ということをもっと考えて見て欲しいと言いたいです。
特攻して行った兵士たちは、大半は、20代前後の若者。
そう。僕と同じ年代の人たち。
時代背景があるとはいえ、僕と同じ年代の人が散っているこの現実は、「そうなんだ」では済まない重さがあった。
戦中の教育って、お国のために命を捧げることは、大変名誉なことだったんだって。
お国のために若い僕の命を捧げることができるならば、光栄です。必ずや、敵艦隊を沈めてみせます。って。
胸を張って、敵艦隊に突っ込みます。って。
実際に残っている当時の写真を見ました。
出撃から30分前の特攻兵達の写真。
基地から2時間30分の場所が戦地となっているので、
自分が死ぬ3時間前に撮った写真。
どんな顔をしていると思いますか?
ちょっと考えて見てください。
信じられないんだけどね。…満面の笑みでした。
友達とくだらない話をして盛り上がる、そんな若者の笑顔でした。
現代でも沢山見かける、そんなありふれた笑顔でした。
なんだろうなあ。
僕だったら絶対に泣いてるし、笑うことなんて絶対にできない。
でもね、笑ってたんだ。僕と同い年の特攻兵達は。
『今日という1日は誰かが生きたかった1日である』
そんな言葉を僕の師匠から聞いたことがあるのですが、本当にこれだな、と。
特攻して行った僕と同じくらい若い少年兵達。
どんなことを考えたのだろう。
後、何日技に死ぬ。後数時間ごに死ぬ。
そんなことが明確にされて、何を思い、感じるんだろう。
僕には到底計り知れないことである。
でも、それを考える義務が僕にはあると思う。
語り部の人から沢山のことを聞いた。
当時のことを経験している人のインタビューを聞いた。
本物の遺書を沢山見た。
遺書には、様々な言葉が残されていた。
母親を心配するものもあった。妹に当てた手紙もあった。妻に当てたものもあった。特に沢山書かず、短く終わるものもいた。
1番グッときたのが、妻に当てた手紙。
沢山書かれていたんだけど、1番涙が出たのは、
「妻は、今を生きる人である。僕は過去を生きる人となる。だからもしいい人がいたら、僕のことはスッパリ忘れて新しい人生を歩んでくれ」「ああ、会いたい。話したい。でももうそれは叶わない」
こんなことが書いてあった。
何を思ったんだろう。どんな気持ちでこれを書いたんだろう。
本当は怖かったと思う。死にたくなかったと思う。その奥さんとの明るい未来を想像して、胸を躍らせていたと思う。
今の僕があるのは、特攻して命を投げ出して守ってくれたおかげ。
今の僕があるのは、そういう悲しみの積み重ねの上に成り立っているもの。
そんなことをちゃんと自覚しながら、前を向いて、自分に嘘をつかないで生きていかないといけない。
そんないろんな気持ちを知ったとともに、僕のこれからを改めてしっかり考え直すきっかけになりました。
皆さん。絶対に行った方がいいです。感じた方がいいです。
それが無理ならネットで調べて、遺書だけでも読んで欲しいです。
今日はこれだけ。
写真は禁止されていて撮れなかったです。
笑顔で楽しく過ごせる幸せを感じないとだね。
ゆうちゃん。
===過去のオススメ記事===
知覧に行く前に個人的に人が 死ぬことについて考えたきっかけがあったのですが、それについて残したものです。