ゆうちゃんの言葉庫〜何故か心に刺さる文章達の居場所〜

沢山沢山経験してきた僕が、 思ったこと、感じたこと、 徒然なるままに残していきます。 また、旅の日記なんかも書きます。

死ぬ。ということを身近に感じてしまった。

今日は、日記的な書き殴りの文章になります。
どうかお付き合いください。

僕はまだ身内の葬式を体験したことがない。
つまり、みんな元気で生きているということです。

とても素敵なこと。
小さい時から両方のおじいちゃんおばあちゃんと仲良くしていた僕にとって、
存在としていることが普通に思っていた。

 

 

先日のこと。

おばあちゃんが、心筋梗塞で倒れ救急車で運ばれた。
小さい時からよく面倒をみてくれた、厳しいけど優しいおばあちゃんだった。

どんな人?と聞かれたら、「武士みたいな人」って答えるくらいに
強い、かっこいいおばあちゃんだった。

遊びに行くといつもお小遣いをくれるおばあちゃんだった。

スーパーに行くと500円くれてお菓子を好きなのを買わせてくれるおばあちゃんだった。

 

元旦の日。

僕はおばあちゃんの家に新年の挨拶に行った。
昔は、めんどくさくて、行きたくないなんて思っていたところ。
でも今年は、そんなに沢山会えなくなってくるし、ちゃんと顔を出さないとなーなんて思って会いに行った場所だった。

昔話を沢山した。
僕たちが小さい時、こんなことがあった、あんなことがあった。
本当に色んな話をした。聞いた。
その話をしている顔は、どこか嬉しそうだった。

この前飛騨を旅行した時に、僕の両親にサプライズでプレゼントをした。
そのプレゼントを今度持ってきてあげるよ。
なんてそんな話もしていた。

 

そんな矢先。さっきのような知らせが入った。

幸いにも、一命は取り留めて、今は入院しているみたい。
病気のこと、よく知らないから全然理解できていないんだけども、

とてもよくないことになっていることはわかる。

 

でもね。感じるんです。

 

どこかで帳尻が合うようになっているというか、収束するというか、
どんだけ元気だったとしても、急に何かがやってくるって。

人間は長く生き過ぎている。なんてよく言われるけど、
なんだろう。うまく言えないけど、人の機能的に限界ってあるのかな。って思う。

 

僕は、身内の死に直面したことがない。

大切な人が、自分の近くからいなくなる経験をしたことがない。

 

でも今回感じたのが、
人って死に向かって歩いている生き物なんだなってこと。

いつか数えたんだけど

僕は今23歳。

1年が365日で後60年くらい生きたとしても、
後、21900日。

たったの約2万日しか生きられない。

 

ダラダラしても、テキパキしても、
悲し思いしても、楽しくても、辛くても、

1日。

ただ死に向かって1歩進んだだけ。

 

そう考えると、なんか人って虚しい。

 

なんとなく久々に元気なくなっちゃったな。
おばあちゃん元気になるといいな。

 

 

そんな話でした。

 

 

 

ゆうちゃん。

 

 

 

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