“認知症”というものも身近に感じてしまった話。
暗い話ばかりでごめんなさい。
こちらも僕が残しておきたい感情の1つとして書いていきます。
『認知症』
この言葉を僕には関係ない言葉だと思っていました。
強いて言うと、お母さんが仕事辞めたらやばいかもなあ、なるかもしれんな…なんて思ってたくらいでした。
でも身近に足音は迫ってきていて、遂に眼前にきたと言う話です。
そして、皆さんのとっても他人事ではないよって話です。
1回ちょっと前に見たお話で
認知症になった親を世話するために、仕事を辞めざるを得なくなって、
辛い生活が始まり、生活保護ももらえず、最終的に終身自殺をしようとする…。
その話は生活保護を中々あげられない行政の視点と、生活保護が本当に必要なのにもらえない家庭の視点が上がられ、親の介護をしないといけない状況になっていく息子の苦悩と、周りとの関係とがうまく描写されていて、「実際にこうなったらどうしよう」なんて思ったのを覚えています。
なんでこんな話をしてるかと言うと、
僕のおじいちゃんが認知症で、要介護4認定されたみたいなんですね。
お正月の時に挨拶をしに行った時に会ってきたんですけど、
今日本で問題になっている問題を目の当たりにしたんです。
高齢化が進んでいくと、老人が老人を介護すると言う状態になります。
いわゆる、老老介護。
認知症って思っているより大変で、失礼な言葉は承知ですが、
人でなくなってしまうんですね。
1人で立ち上がることもできないし、トイレも行けない。
正確には、トイレに行かなきゃと言う意識はあるんだけど、
うまく服を脱げなくて、途中で我慢できなくなって、漏らしちゃう。
そんなことが時間に関係なく起こります。
超大変ですよね。
おばあちゃんの筋力で、おじいちゃんを力で支えることって、
すごい大変で。
腰が痛くなっちゃうんだって。
辛いから毎日施設に預けるようにしたんだけど、
そうしたら、夜起こされる負担もなくなるし、介護で感じるストレスもなくなるから。
でも、おじいちゃんの意識がなくなることが増えてきて、病院に行かないと行けなくなったんだって。
そうすると病院に行かないと行けないから、施設に預けることができなくなる。
訪問医療という制度があるから一回一回病院に連れていく必要はなくなるけど、
その分施設に入れることができなくなる。
そうすると、世話をするおばあちゃんの負担は減らない…。
そんなことが今、正に、僕の前で起きている。
誰が悪いわけでもないし、何かがおかしいわけでもない。
本当に仕方がない状況として、目の前に起きている。
僕のお母さんは、介護をするために仕事を減らして、おじいちゃんのところに行くらしい。
親父が最近帰りが早いのは、きっとそのためなのかもしれない。
うーん。何が言いたいんだろう。(笑)
きっとこのモヤモヤした気持ちを残したいんだと思うんだ。
だから、今日はこれでいいんだと思う。
おじいちゃんは、ゆっくりとしていて、おとなしい人でした。
でも卓球が上手で、よく笑う人でした。
数年前まで全然元気で、一気にここ数年で体調が悪くなっていってます。
もう80歳を超え、もうすぐ90歳くらいかな。
昨日も書いたけど、やっぱり物事って収束するんだと思うんだな。
毎日を大切にしないと、ですね。
後、会える時にあっておかないと、です。
明日はもっとちゃんとブログ書くぞ。
ゆうちゃん。
===昨日のブログ===