神様に見える人だって昔があって。みんな最初から神様な訳ではない。
身の回りにいる凄い人。かっこいい人。
なんでこんなに人と違うんだろう。
あの様になりたい。
そんな風に思わせる輝いている人っていると思う。
人に憧れるって悪いことじゃない。
あんな人になりたい。
それで他人と比較して凹むことがなければ、
また、ネガティブな感情を生むことがないのであれば
憧れってそんなに悪いものではない。
(他人と比較することについて書いた記事です。)
でも人の見方を間違ったらちょっとよくないことになってしまうと思うんですね。
(僕はなりました。)
今回は自分が神様になった訳ではないですが、
神様みたいな人に沢山あって、話して、感じたことを残します。
●みんな初めから凄いわけない
超当たり前だけど、結構見落としがちだと思う。
産まれながらに天才な人っているのかもしれないけど、
絶対にみんな努力の時間がある。下積みの時間がある。
ここにちゃんと目を向けないといけないと思う。
初めから天才的な人って本当にいないと思う。
育ってきた環境とか、色々原因はあるかもしれないけど、
結果を残す人って、
絶対に努力してる。
人とは違う努力をしたから、そこの高みにいるんだと思うんです。
それなのに、
死ぬほど努力した結果なのに、
あの人だから乗り越えられたとかいう人がいる。
元々のスペックが違うとかいう人がいる。
そうじゃない。
僕は思う。
●その人に憧れても、その人には絶対なれない
これ、すごく大切だと思う。
憧れている人になろうと思っても、その人には絶対になれない。
これは単純にその人になれないということでもあるんだけど、
何だろうな。
その人はその人の道を歩んできたのであって、全く同じ道は辿れない。
もし万が一同じ道を辿れたとしても、二番煎じにしかなれない。
何かの道で1番になった人がいるとする。
その人がどうして1番になれたかというと、
誰もやってないことをやって続けてきたり、
誰もができないような努力をしてきたから極めることができた。
ということは、その人になりたいって思った瞬間にその人にはなれない。
すごい矛盾。そして皮肉。
でも、そのことにちゃんと気がつくことってすごく大切だと思う。
●自分が、いま、何をどんな風に積み上げるか
過去の決断が今の自分を作っていて、
今の自分が未来の自分を作る。
誰がみてもすごいって人は、
そうなるような決断を連続してやってきた結果。
ただそれだけなんだ。
死ぬような体験な経験は、自分から得るものではなくて、
なんかよくわからないけど頑張って続けてきて、
結果的に死んでいる。
ただそれだけであって、
超刺激的な環境とか、非日常とかって、
そこにいることが大切なのではなくて、その刺激を普通にすること。
非日常を日常にすることが成長ってことだと思うんです。
なりたい姿がある。
目標とする姿がある。
これはすごく素敵なこと。
でも、自分が、自分で何ができるか。
どんな色を塗ることができるか
って本当に自分次第だと思う。
目標として、方向性として、
憧れの人を目指すのはいいこと。
でも、突き抜ける人って、そういうのではない、何かに突き動かされている。
僕にはまだ見えない景色。
でも、必ず。
ゆうちゃん。
===過去記事===
人を巻き込むコツとかありますか?に答えた記事。